元気スイッチ

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院長日記

2021.07.17

キモいバルンアートが問うものは…


ニュースを真剣に見ていたわけではありませんが、これ、キモかったですよね。
毎日新聞の記事に、以下のようなものがあり、
「(前略)物の見方を変えることが生存に欠かせないのでは(後略)」
「(前略)物の見方を変えることで小さな社会ができて、希望を見出せたのです。生存ということをただ生々しく捉えるだけでなく、感性を使って今を見る姿勢が大切ではないでしょうか」
このバルーンアートは、このコロナ禍で我々に「物の見方」を問われているようです。
開催がいよいよ迫っているオリンピック。
やりたい側のIOC、政府、東京都・・・出たい側の選手・・・開催賛成の国民、否定的な国民・・・そして我々医療者・・・立場によって見方、考え方違うと思います。
ただ、今や良い、悪いを議論している時間はなく、我々医療者は、大きな波が押し寄せて来ることを覚悟しておかないといけないということ。「あれ、大したことなかったね」かもしれないし、一瞬にして飲み込まれてしまうかもしれない・・・
ワクチンもそう。
患者さんから「打っていいか?」と聞かれますが、「打っちゃいけん」と言える人はほとんどいない。何かの病気が発症したばかりで、病状が落ち着いていない人は「やめといた方がいい」とある程度言えるし、言うけど、それはご自身がよくわかることだと思う。アレルギー歴があるからといって、コロナワクチンで同じ反応が起きるか?それ以上のものが起きるか?は僕らにもわかりません。ただ、何もない人と比べて、アレルギー反応が起こる危険性、確率は高くなると思う。
そこを踏まえて、ご自身で決めて頂くしかない。
確かに素人さんが決めがたいのはわかるけど、今までの経験を振り返り、リスクを踏まえても打ちたいのか、リスクを懸念して打たないのか・・・そういう考えで判断して頂くしかないと思う。
我々医師も、大局的に考えると、できるだけ多くの人にワクチン接種をして頂き、このコロナ感染症を一刻も早く収束させたい。一方、患者さんを前にした一医師としては、目の前の患者さんが、アナフィラキシーを起こして、その対処をしないといけない状況は避けたいので、その人がワクチン接種をしないことはあまり問題ではないのです。
「先生が決めて下さい」なんて、それを丸投げしようとする人が本当に多い。
「物の見方」に戻ると、今は、本当に戦時中(戦時下)と一緒。そのときも政府が戦争を推し進めたわけだけど、国民も賛同し、自主警察となり、否定的な人を非難したり・・・ワクチンもそう。国をあげて、世界をあげて推進しているけど、もしかしたら、打たない方がよかったものかもしれない。10年後、ワクチンを打った人は、後遺症で苦しみ、死亡し、打たなかった人が生き残るかもしれない。また、打たなかった人が、どんどん変異したコロナに最終的には殺されてしまうのかもしれない。まあ、そんな極端なことはないにしても、自分が正しいと思う情報をもとに、自分で考え、納得し、選択することが必要なんだと思います。
日常診療や、在宅医療介護連携推進事業などで、人生の最終段階の選択について関わることが多いですが、そこに関わる「選択」もそう。国民性なのか、考えていない、考えようとしない、選択できない人が本当に多いなあと思います。
大げさに言えば、人生は「自己決定」の連続。この「顔」はそんなことを問うていうるように思います。

以下、記事本文です(毎日新聞 2021年7月16日)
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上空をふと見上げると、巨大な「顔」が、浮かんでいる。きりりとした太い眉に、物思いにふけるような面構え。16日、東京・原宿に出現した「見慣れない」光景だ。道行く人が梅雨明けした空を見上げたり、スマートフォンで撮影したりしている。これって一体なに?【高橋咲子/学芸部】
 午前8時。若者の街・原宿に通勤客の姿が見え始めた。風が吹くたびに向きを変える、バルーンのような「顔」を見て、道行く人が驚いた表情で空を見つめる。通勤路に突如現れた物体に、サラリーマンやマラソンランナーが一点を凝視していた。
 シュールな光景を作ったのは、荒神明香(38)、南川憲二(41)、増井宏文(40)の3氏でつくる現代アートチーム「目(め)」だ。
プロジェクトは題して「まさゆめ」。この日午前6時に上げられた。物体のサイズは、縦の長さが6~7階建てのビルくらい、およそ20メートルほどだ。どのようにして、何を上げているのか、気になって尋ねたが、「メカニズムをインプットした状態で見るより、初見の印象を大切にしてほしい」(南川さん)。
「目」は2013年に活動を開始。「当たり前すぎて気づきにくいもの」という意味を込めた。地方芸術祭への参加や、千葉市美術館での個展「非常にはっきりとわからない」(19年)で知られる、注目のアートチームだ。これまで、雑木林の中に水面(みなも)を歩くことができる「池」を出現させたり、美術館の展示室そっくりに見える二つの光景を作り出したりするなど、見る人に現実の不確かさを突き付けてきた。
 目を疑うような光景を創出する、という意味ではこの「まさゆめ」プロジェクトも同様だ。今回、原宿の空に浮かんだのは実在する人物のものだという。

世界中の1000人以上から選考

 19年に年齢、性別、国籍を問わず広く募集し、0歳から90代まで世界中の1000人以上から集まった。さらに、どんな顔を空に浮かべるか、誰でも参加できる「顔会議」を実施して意見交換した。
 南川さんは「参加者から出た『はね返す』という言葉が決め手となった」と振り返る。「顔はそんなにじろじろ見るものじゃないし、『見ていいの?』と遠慮してしまう場合もある。世界中の人の視線をはね返す力が必要ではないかという意見があったのです」
 最終的に1人に絞ったのは荒神さん。「この人しかいない、と決めました。『哲学の顔』と呼んでいたのですが、自分たちの存在を問い直すような顔つきだと思います」と語る。今回の実施にあたり、東京の風景に当てはめるとどう見えるか、何度もシミュレーションを重ねた。

「生きるために見方を変える」

 着想のもとになったのは、荒神さんが中学生のとき見た夢だという。「塾の帰りに電車の車窓から夕暮れを眺めていたんです。すると林を抜けた瞬間、街が広がり、その上空にお月さまみたいな大きさの人間の顔が浮いていたんです。一瞬のことでした」。幻想的というのではなく、誰かが人工的に起こしたような現実感の強い光景だった。「こんな突拍子もないことを大人たちがやっていいんだと、中学生ながら勇気づけられたんです。すごい街だなと」。いつかこうした景色が見られたらいいなと、心の中に大事に残していた、と振り返る。
 今回のプロジェクトは、東京都などが主催する公募事業の一環。東京オリンピック・パラリンピックに合わせて昨夏に実施予定だったが、1年延期された。コロナ禍で鬱屈した気持ちが世界中に広がるなか、人々が空を見上げ、浮かんだ「顔」も人々を見返す。南川さんはその意味を改めて問い直した、と語る。
 東日本大震災の際、被災した少年が救出を待つ間、倒壊した自宅の天井のすきまから空を見上げていたという話がある。「自分の場合、がれきのなかにいるということだけを思っていたら、生きていけなかったかもしれません。物の見方を変えることが生存に欠かせないのではと思ったのです」
 もう一つ別の話がある。10年にチリの鉱山で発生した落盤事故で、2カ月以上地下に閉じ込められた33人の作業員はその間、医師や牧師などそれぞれ役割を持って過ごしたと報道された。「鉱山で働いていた人が、次の日から医師になるわけです。物の見方を変えることで小さな社会ができて、希望を見いだせたのです。生存ということをただ生々しく捉えるだけでなく、感性を使って今を見る姿勢が大切ではないでしょうか」
 私たちが直面しているコロナ禍も同様だという。「人流の災害とも言われますが、私たち自身が起こしたパンデミックをもう一度私たち自身で見る。つまり、私たちの誰かだったかもしれない『顔』が、私たちを見る。そういう作品だと思っています」