元気スイッチ

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院長日記

2022.12.31

今年一年を振り返って

超〜久しぶりのブログ更新となりました。
年の瀬に、お世話になった皆さんへのお礼と、自分にとっても、今年一年の総括をしておかないと新年を迎えられないなと思い、PCの前に座っています。

●春はスタッフの大量離職で大変でしたが、大切なものも見えた一年だった
●この一年はコロナに翻弄され、脅威をまざまざと知るも、社会の認識、動きとは裏腹で、折り合いつけれずにいる自分がいる
●今年も多くの看取りを経験し、また、秋から多数の講演をさせて頂き、人生の最終段階や誰もに必ず訪れる死に対する考えが深まったし、より一層、命への愛おしさが増した
●そんな中、NPO法人設立し、ようやく事が動き出した

●スタッフの大量離職(春):私の不徳と致すところではありますが、6人が一気に退職しました。自分の思いが伝わらなかったり、信頼していた人も辞めたり、信じられない言葉に驚き、随分と落ち込みました。みんな辞めちゃうんだろうな・・・妻と二人になっても一からやり直そう・・・と思っていましたが、12人のスタッフが残ってくれました。とてもうれしかった。当初、訴訟になるかも・・・と思い、弁護士さんを紹介してもらい、弁護士さんからは社労士さんを紹介してもらい、春から、お二人から残ったスタッフとの新たなチームビルディングを指導頂いたり、定期的なミーティングで経過をフォロー頂いており、院外にもチームを形成しておくことが大切だと学びました。そのおかげで、今は、一人一人が、相手の長所と短所を認め、思いやりをもって業務に当たることができるようになり、深呼吸ができるような雰囲気となりました。また、一気に人数が減り、今までできていた業務が難しくなったものもあり、ご来院の皆さまには随分とご迷惑をおかけしていることも事実ではありますが、その分、従来の業務を見直し、思い切ってDX化にも取り組んでこれていることも収穫ではありました。

●コロナ:連携する高齢者・障害者施設のクラスター発生。最初は小規模な高齢者施設。自分もまだまだ怖くて、回診・診察などしてあげれず申し訳なかった。夏に障がい者施設。若年から高齢までおられ、隔離は困難だし、建物の構造も問題あり、本当に大変なミッションでした。保健所の方とラウンド、協議もしたけど、人数も多いのでヘトヘトになりました。スタッフが逃げ出すんじゃないかと心配しましたが、皆さん、本当に頑張られました。11月末から大規模高齢者施設のクラスター。懸命に最小限でストップしようとしましたが、まさに山火事のように、こっちから出たと思ったら、あちからから・・・消えたと思ったら、こっちから・・・心が何度も折れかけたと思うけど、スタッフの懸命な頑張りで、クリスマスにようやく新規発生がなくなり、年末に最後の感染者も観察期間を終えました。ただ、いわゆるコロナ肺炎で急に呼吸状態悪化して重症化するという方はおられなかったものの、当初から咳、痰で、誤嚥性肺炎のようになって抗生剤点滴を要する人が多かったし、コロナをきっかけに食欲が低下し、食べれなくなって弱っていく方も多く、高齢者のコロナ感染の怖さをまじまじと実感しました。感染症をきっかけに弱るのは、インフル、ノロ、誤嚥性肺炎でも一緒ですが、コロナの場合何が違うかというと、これだけの予防策をしても、これだけの感染が拡がってしまうので(50人弱の入所者の5分の3ぐらい)、弱っていく人が短期間に何人も出てくることが通常と違うし、スタッフの負担もハンパないし、怖いなあと思いました。今はこういう状況なので、施設でクラスターが発生して、入所者さんが感染し、状態悪化しても、ご家族から非難を受けることは少ないですが、後味よいものではありません。また、入院はせず、すべて施設で対応しました。上記に書いたようにコロナ肺炎のようにどんどん酸素濃度が下がって・・・という人はいなかったし、施設には看護師もおり、なんとか対応できたからです。今は、コロナ病床が逼迫しているので入院が難しいこともありますが、入院したとしても、やることはあまり変わらないし、入院して色々やられる方が負担が大きいのです(点滴され、手足くくられ、モニターがたくさん着く)。そして、今まさにですが、訪問診療している患者さんがコロナになってしましました。ご家族が発症し、その後から肺炎・心不全悪化のような状況になってきました。入院を考えましたが、前日に入院の受け入れに大変苦労したので入院が難しいのはわかっているし(保健所からは、「今はどこも満床なんです。酸素濃度70%の方も1時間待っている状況です・・・今、入院待ちが10人いるんです・・・」と)、結構遠くの病院になることもあって移動の負担もあるし、コロナは病院についても治療まで時間がかかるし、この方の場合、入院と在宅での治療に大きな差はなさそうだし(抗生剤の点滴や酸素投与は自宅でもできる)、それより、入院したらご家族は全く会えなくなるし・・・今までの状況から考えるとコロナに感染しなくても、誤嚥性肺炎などで1年以内のうちには亡くなる可能性が高い状況ですから、入院しても亡くなる可能性が高い。それなら、ずっとそばにいれた方がいいかもしれない。本当に本当に辛い決断(覚悟)です。
今、社会はこの感染状況でも活動を緩めることなく走っていますし、早く5類に落とせとか、リスクも許容しているような雰囲気だけど、死亡者の増加、クラスターや流行の裏では、ハンパないコロナに翻弄され、命を守ろうと懸命に頑張っている医療・介護の仲間がいること、その甲斐もなく人生を閉じている人も大勢いることは知っておいて欲しいなと思います。

長くなったので、あとは手短に・・・
●コロナところこでも書きましたが、人生の最終段階となって、どんなに頑張っても医療では治すことが難しくなっている状況で、それでも、今までは、食べれなければ点滴や経管栄養(手足くくってでも)、血圧が下がれば昇圧剤、そして、最後は心臓マッサージまでやって、それでもダメなら死を受け入れる・・・みたいな、 それが命を大切にすることみたいな医療が当たり前でした。こんな考え方、つまり、悪いところはどんな状況でも治さんにゃいけんという考え方を「医療モデル」と言いますが、「医療モデル」の考え方で、何も考えず最後まで突っ走るのではなく、どこからかは限界を見つめ、医療の塩梅を考え、治せないところがあっても、うまく共存しながら、生活(暮らし、生きる)を重視することが大切だなあ〜と改めて思っています。そして、そんなことを事例(経験)も交えながら、市民の皆さんにお話し、少しでも大切なことに気づいてくれる人が増えれば、暴力的な最後ではなく(鼻からチューブが入ったり、手足には点滴ルートが入ったり、それを抜かないように手足をくくられ、死ぬサインを見逃さないように心電図や酸素、血圧モニターが体について、ついでに酸素チューブやマスクもついて、病室で、一人、モニター音に包まれて死んでいく・・・)、住み慣れた暮らしの場で、暮らしの音、匂いに包まれて、家族や馴染みの人に見守られて逝く・・・精一杯、生き、暮らした最後に死というゴールが訪れる・・・そんなまちになるんじゃないかな?と思っています。そんなことを話したり、話し合ったりできる場を作りたいと思っています。